Switching languages can also switch personality
6月 27, 2008 on 9:28 am | In misc | コメントは受け付けていません。
Switching languages can also switch personality: study | Lifestyle | Living | Reuters
この記事を見て、漠然としていた自分の中の考えがまたちょっとよみがえってきた。
このリポートの内容には、個人的には大いに興味がある。
もっと詳しい話、というか結論から導き出される新たな仮説に付いての話はどこかにないだろうか?
自分を振り返っても、英語を使っているときと、
日本語を使っているときでは明らかに違いがある、と自己認識している。
ただし、
1.英語と日本語という「明らかに大きな違いをもった言語」間の感覚なのか
(例えば一般的に差が少ないといわれるラテン語系(イタリア語とスペイン語とか)
諸言語間ではどうなのか)
2.生まれつき2種類以上の言語を覚えながら育った場合はどうなのか
(僕は英語を勉強したけど、英語圏で生まれ育った日本人、はまた違う感覚だろう)
という疑問をずっと持っていた。
2.に関していえば、おそらく言語の違いによるPersonalityの変化は少ない、
と経験と感覚から予測するも、1.についてはまったく答えの予想が出来ていなかった。
今回の記事は1.の疑問に対してひとつの方向を見せてくれている気がする。
ところで、昔、こんなことを考えたことがあった。
思考は言語によって規定される。
思考の限界は言語の限界でもある。言語の限界を拡張することは、より広い思考のベースを持つことにつながり
あたらしい視座を獲得することに直接つながる。(外国語の習得の効用)言語そのもの、及び、ある言語で書かれた書物、について研究して思索を深め
新しい解釈を導き出す活動は、確実に他のあらゆる人間の活動の基礎を拡張し
伸びしろを広げることができる。(日本語研究の効用、文学の研究の効用)
思いっきり断定口調で書いてみたが、これはまったく僕の仮説。
こういう場所にでも書いたり、誰かと話をして、頭を整理したいなと思ったままだった。
(海に行く車の中とか、キャンプの夜とかにいきなり誰かに話してみたことがあった気もするけど)
今回のReuterの記事にある研究結果は、僕の上記仮説と補完関係にないかな、と思ったんだ。
外国語を習得することによって、もうひとつの人格形成を行える。
Personalityを切り替える。
Mac OSXとWindows XPを好きなときに切り替えるように
Virtual Machine状態を自己内に作り出せる。
硬直化していた思考がほぐれ、無意識的に想像力が限界を超える・・・どうだろう。
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