後期高齢者医療制度ってやつに、
5月 19, 2008 on 11:56 pm | In misc | コメントは受け付けていません。そろそろ一言いっておくかw
後期高齢者医療制度のことを「高齢者いじめ」だとする人はたくさんいるが
既存の医療制度なり年金の仕組みを維持すること自体が
日本破綻への近道を歩むことで、つまりただ将来にツケをまわす若者いじめとも言い換えられること、
そういうことは認識されているのか気になるな。
このまま破綻していくだけの仕組みを維持するために
現役世代が負担させられるものを考えると、
まったくもって今の状態はフェアではない、と感じてしまう。
仕組みを変える動きがやっと始まったと捉えて
長期的視点に立ったより良い結論を導かれるといいな・・・
最低限の仕組みでいいよ・・・
自分にも祖父母がいるし、その苦労を考えるまでもなく
この仕組みを受け入れるのはすっきりした気分ではない。
だが悪い仕組みを残すのはそれ以上に始末が悪いだろ・・・
例えば病院や医院の現場のことを考えると、
医療にはお金がかかるのが良くわかる。
医者、看護師といった技能をもつ人々を取り巻く状況の改善だって必要。
アメリカ並に保険料をばっさり上げる、というのはどうかと思うが、
何らかの仕組みの変更が必要なんだよ。
そしてもはや現行の仕組みで
社会を維持していくのは不可能、でしょー。
一方で、自分は「自分の身は自分で守る」というのを徹底していかないと、と認識。
<追記>
例えば、自分の親とは将来どうやってお互い面倒を見ていくか
なるべく早いうちに話をしておいた方がいいんだろうな。
ここ数年でだいぶ考え方も変わった。
親がどれくらい年金もらえるのかといった生々しい話も含めて、
将来のビジョンを家族間で共有しておくことが大切になりそう。
逆に、そういったことをしないと、さまざまな側面から家族の崩壊につながっていきそうだ。
守るべきものは家族だし、そのためには自分の経験と知識を最大限導入して行くべきだ。
「自分と両親家族の将来像」を子供の立場から考えて設計していく、という作業は
本来もっと自然に早いうちに行うべきことだったのだろうか。
自分が歳を重ねると共に家族像が変わっていくのは当然であることを認識していなかったな。
家族のあり方をとっても千差万別でさまざまな価値観があふれている昨今だけに
自分が大切にすることは何なのか、軸を定めておかないと。
あとで手遅れ、というのは避けたい。
大局観をもつことも肝要ではないか。
経済全体がShrinkしていくなかで、日本政府の舵は大きな政府に向かっている。
個人的にはこれは間違った舵取りと思うのだが、
昨今の二言目には「国が何とかするべきだ」という風潮を見るにつけ
社会と自分の感覚との隔たりを感じる。
大きな政府が志向するのは社会保障費負担の増大、増税、福祉の充実・・・・
誰もが安心できる福祉サービスをこの国が提供し続けてくれる、
自分は何もしなくても国が助けてくれる、
なんて夢物語をいったいだれが信じているんだ・・・?
後でこんなはずじゃなかったとなるのは年金で懲りたよ。
百歩、いや百万歩くらい譲って、年金を給与から天引きするのを継続させるのは
黙認せざるを得ないのかもしれないが、もうそれ以上は信じない。
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