初夏の雰囲気にだまされて。日記@5月12日
5月 13, 2007 on 4:47 am | In diary | No CommentsHave a picnic in the 4.D. garden* again.
再起動。
Weblogという言葉から派生したというBlog。
そのメディア的新しさは既に誕生時のまばゆい輝きからは
やや落ち着いたものになってきたように思う。
Blog自体の存在はもはや日常に深く入り込んで
Internet上のひとつのコンテンツとして日々当たり前のように
更新され、無数のRSSフィードがネットワーク上を駆け巡っている。
自分がweb上で日記をつけ始めたのが2000年。
当時はまだBlogなんて言葉はなくてweb日記だった。
最初は特に意図もなく、
Internetの世界にあふれるわくわくした気持ちに自分も深く触れてみたい
という単純な憧れと、
もしかしたら誰かに拾って読んでもらえるかもしれない
というちょっとした好奇心と、
日々の記録
という退屈な言い訳ではじめてみた。
GeocitiesからはじめてTripod、Lycosにも手を出して
Yahooの掲示板を徘徊して、teacupで掲示板を作って、
レンタルサーバーを借りてDreamWeaverを使ってみたり、
Tableと格闘したり、エディタに凝ってみたり
MovableTypeをインストールしてみたり。
その結果、何が起きたか
って
ここで胸張って書くほどの何かはないんだけど。
でもなんていうか、
書き連ねているうちに
自分の小さな記憶と記録の積み重ねが
ひとつひとつ確実に
ネットワークの世界に積み重なって
思いとして残っていくことが
やっぱし面白いなー、って
まったくくだらない個人的なアウトプットでも
アウトプットとして残すのは楽しいかもなー、って
そんな気だけはしていた。
昔のログを久々に読み返してみた。
今となっては笑っちゃうような
恥ずかしいことが書き綴ってある。
とても自分が書いたとは思えない、思いたくないような
そんなのも残っているけど
でもその時に自分は
そこに書いてあるようなことを考えていたんだ
と、そう思ったら
なんか泣けてきた。
昔の友達にあって、忘れていたようなエピソードを話されて
びっくりしたときのような感覚。
自分の記憶の友達にあったような感覚。
例えば昔のメールとか
読み返してみるといい。
同じような感覚を覚えることができるかもしれない。
そうやってネットワークの向こうの世界にたまっていく思いが
果たして何の役に立つのか、それはまだわからないけど
でも、なんとなくだけど
そういうひとりひとりの思いがたまっていくってことは
「いいこと」なんじゃないか、
とは思う。うまく言えないけど。
だから、もう一度、書き始める。
少しずつできることから、
日記を付けていこう。
自分の思いを刻もう。
思い出という言葉は終わってしまったことを
想起させるので好きではない。
現在進行形の記録として
ここに記憶の断片を積み重ねて
自分の記憶の友達をはぐくんでいこう。
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